雜讀

漱石の名作がすごい。 出口 汪, 2009年, 中經出版

eyetalker 2013. 2. 3. 10:01
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漱石名作がすごい。 出口 , 2009, 中經出版

 

[1] 時代背景

 

나쓰메 소세끼” (1868年 江戶生-1916年 東京)의 문학세계 전반을 그의 작품 거의 모두를 텍스트로 그의 세계를 해석한 작품. 그와 그의 작품에 관심이 있는 사람에게 매우 추천할 만한 저작이다. 漱石의 작품을 원문으로 읽는데 어려움을 느껴온 나로서는 무척 반가운 길의 案內人이었다. 특히 그의 작품과 해당연대의 역사적 사건을 겹쳐 보아 이해해보고자 하는 욕구가 있었던 바, 이번에 간단히 살펴보았다.

1852 日本22代 明治天皇-睦仁(むすひと出生

1867年 明治 卽位

1868年 江戶幕府將軍 徳川慶喜(とくがわ よしのぶ攝政

1869年 東京遷都

1871年 廢蕃置縣

1873年 西響隆盛(さいご たかもり) 征韓論

1889年 帝國憲法制定

1890年 敎育勅語

1890年 東京帝大 英文科 入學

1893年 東京高等師範學校 英語敎師->四國松山中學敎師

1894年 淸日戰爭

1896年 熊本 第5高 敎師-> 中根境子(なかね きょうこ結婚

1900年 英國留學

1902年 歸國

1904年 露日戰爭

1905年 乙巳條約

1905吾輩である 

1906っちゃん」 , 草枕 

1907虞美人草

1908三四朗

1909それから

1910年 大韓帝國 倂合

1910年 伊豆修善寺에서 吐血人事不省

1912 彼岸過ぎまで行人

1912730日 明治天皇死去 (59)/乃木希典 自決/大正卽位

1914 - 主題: 明治時代 知識人內面

1915道草 - 主題: 自傳的 小說

1916年 死去. 明暗 (未完成遺作)

 

壬亂(1592-1598) [=文禄慶長]을 거쳐, 豊臣秀吉(15373~ 15989)死後, 徳川家康(15431~ 16166)1603년 문을 연 幕府가 문을 닫던 그 해 소세끼는 태어난다. 그가 小說 吾輩である를 발표한 1905, 乙巳條約이 체결, 1910, 물론 그 때문은 아니었겠지만, 伊豆修善寺에서 吐血人事不省이 된 그해, 日帝伊藤博文 (1841~ 1909)주도로 大韓帝國强制倂合. 漱石時代大韓帝國倂合直前, 開化期 朝鮮과 매우 近接하게 一致한다. 安重根 中將哈尔滨에서 伊藤刺殺190910/26이 일어난 그해, それから發表되고 있다.

 

[2] 漱石世界

p.81

人間まれちる場所何一べない一方,どうしても相容れない人間っていうのが存在するがちがうのだそうしたけようのない人間関係それでもはいきていかなければならないかれていくしかもどこにもがない

 

p.96

健三細君いにして相容れない世界でいきてきただからこそ衝突制限なくこるいに相手けるしかない健三はそれらをすべてそっくりひきけなければならないそれは漱石自身世界對射することになる

 

p.154

近代問題? それってどういうことですか

日本江戶時代まで鎖國をしていただろところが明治になって開国それによって西洋からあらゆるしいものがってくる

までの日本伝統的文化西洋からの異質文化ある意味では相容れないものだったでも無理にでも西洋化しなければ日本植民地化されてしまう危險性があったのだよその明治人間苦惱それなりにえていくんだ

 

p.155

 

現代えるさまざまな問題そのんどが明治という時代っているんだそしてあらゆる場面近代化によるまりがられるよね環境問題問題肥大化した欲望精神荒廢,民主主義限界, 過當競爭....

 

p.171

漱石的主題

漱石人間にあるいもの不可解なものをえぐりてくる

まで漱石執拗にこだわってきた正義感とか道義といった観念、「それから以後,

きく

というよりもそうした画一的価値観ではとらえきれない人間不可思議さに漱石視線とらわれていく

 

 

p.238

行人とはもともと道行くひとぎるという意味なんだ漱石がどういうつもりでこうした タイトルをけたかわからないしけっこう学者議論対象になってきたぼくは單純意味解釈しているぎるだけの旅人のように二度うことのない

 

p.393

漱石文学には時間する不思議なとらえあるんだ

時間かに等間隔にながれているけど人生決定する一瞬があるんだその瞬間には時間れずに全生涯支配してしまう

 

p. 423

明治精神殉死するってどういうこと乃木大将ってどんな? 乃木大将殉死したことでどうして先生までななければならないのここが一番肝心なところなのに

。。。。。。

というよりも漱石はあくまで明治知識人けてこの物語いたのだから当時知識人だちはわかったはずなんだ

 

p.423

明治精神

 

漱石をはじめ当時明治知識人武士階級だったんだ。。よりもむしろ集団価値規範優先させた。。ところが明治になりらは集団からされていくそれが自我確立ということなんだ

 

 

20132,

다시新春을바라봄.

 

 

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