怒りの川 、李佳炯 著, 1995年 聯合出版(日本)
.略史
1921年生 著者는 全南木浦産.
1942年, 東京帝大 佛文科 入學
1944年, 朝鮮學徒志願兵으로 日軍入隊- 버마 戰線投入
1946年, 버마,싱가폴 捕虜收容所 經由, 歸國
朝鮮人으로 日軍入隊의무가 없던 李는 日帝의 强壓으로 强制入隊. 버마전선으로.
p.247
中國の雲南から始めて、ビルマを縱斷し、南海岸のビリン川口にいたるまで、およそ半年以上,
幸にも乾期中に無慮三千里の道程を歩き通したのだ。われらは落伍者, 敗走兵 , 戰線離脫者, 暗夜の狼、荒野の無法者であった。同時にまた發熱患者, 痢疾患者, 皮膚病患者, 夢遊病者,情神錯亂者であった。
P.307
私はおそろおそろ歩きだした。普通ならば家には父と母と小娘が一人ふたりおるはずだ。駅の方でけたたましく鳴りたてる汽笛の音が、私をせきたてるようであった。私はひそかにおののき恐れていた。父母はさぞ驚かれるであろう。ゆっくり歩くつもりであったが、すでに家の横丁の入口にきていた。汽笛の音はまだ聞こえていた。まるで私の渡来を告げるトランペットの音のように。
私は息をぐっと嚥みくだして門をノックした。
「どなたですか?」
と母のものしずかな声はまるで息子の到來を待っていたかのように聞こえる
「小子です」
と私はすこしためらったのちに答えた。
しばらく間を置いて(おそらく母はあまりの驚きに腰を抜かして起き上がれなかったかも知れない。)、母が小娘の梅丹にいいつけるのが聞こえる。
「梅丹! お前すぐ門を開けてから社宅に走り、おじいさんにお坊ちゃまがお帰りになさったと言いなさい。」
小娘の梅丹は私が突っ立ているのを見るや、
「まあ、お坊ちゃま、お帰りなさった!」
と殆んど悲鳴をあげた。
母は縁側に座ったまま、声を立てながらすすり泣いていた。私はぼろの軍靴を脱ぎ縁にあがり膝をついて跪拝をした。
「母上、無事に帰ってまいりました。」
母は私の両手を、まるで生気をたしかめるかの如くこわごわさわり続けながら感極まっていた。
「本当に生きて帰ってくれたんだね。 本当に生きて帰ってくれたんだね。仏様のお陰だよ。大事なお前が無事に帰れないはずがあるものかね。。。。
2013年 5月. 夜中눈물을 훔치다. 鎭
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